今「天地人」で魚津城の攻防戦をやっているらしいです。実は私、小学校2年生の時から中学校1年生というもっとも多感な時期に、魚津に住んでいました。私が小学生の時はみんな外で遊んだもので、覚えていることと言えば学校のことよりも、帰宅後みんなで遊んだ時のことの方が、鮮明に残っています。
「鬼ごっこ」だとか「かくれんぼ(ポコペンや缶蹴り)」は勿論しましたが、一番楽しみにしたのは、稲刈りが終わった後の季節です。その時期は田んぼで遊ぶことができました。何をしたのかというと、野球です。
藁を集めてベースをつくり、くぼみのある田んぼで打球を追っかけて走り回ったものです。土が程良く柔らかく、転んでも怪我をしませんでした。田んぼと田んぼの間には畦があったのですが、そのよな段差などなんのその。アウトになる時は三振かフライで、ゴロを打てばイレギラーしまくりですが、そのようななかで生まれる好プレーもあり、なかなか楽しかったものです。
私は戦国武将のなかでも上杉謙信が特に好きです。小学生の時に一番最初に覚えた武将の名前であることは確かかも知れませんが、その時は名前を聞いても何一つピンと来なかったです。むしろそのようなことを覚たとてどうなる訳でもない、とどちらかと言うと覚めていたのですが、大人になって何故か謙信公に妙に親しみを覚えるようになりました。
越中富山は戦国時代は神保氏が大半を治め、東側の椎名氏がこれに対抗していたのですが、その椎名氏が上杉謙信に仕えていたことから、魚津には越後の文化が入り込んでいました。それが理由でもないでしょうが、富山と魚津では方言も違っていて、私が小学校2年の時に転向した際、同じ富山県内なのに一種のカルチャー・ショックを受けました。中学校2年になるときに魚津から富山に戻った際にも、これまたやはりカルチャー・ショックがあったのですが。
小学校のとき、秋の歩く遠足に魚津城跡へ行ったり天神山へ行ってでバーベキューをしたりしました。春の遠足では鈍行列車に乗って春日山まで行ったこともあります。このあたりになると流石に断片でしか覚えていないのですが、上杉文化を満喫したのかも知れません。因みに富山市以西は金沢に続きますので前田文化圏になります。
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