私が宇野功芳氏と出会ったのは2000年の石橋メモリアルで、これはアンサンブル・フィオレッティとの「夜来香」のライヴCDの録音が行われた時です。この時は実際に話をした訳でもなく、大阪の友人に誘われて行った際で、初めて実演を耳にいたしました。そして翌2001年に金沢でアンサンブル・フィオレッティのコンサートへは、金沢の喫茶店の女店主の方に誘われて行きました。この時にコンサート後の懇親会にも参加させて頂き、宇野氏とたわいもない話ができました。懇親会の出席者は殆ど年配者のなか、私だけは実に珍しい青年だったのですが、この時に一人の団員の方は、私を覚えてくれたのは、後になって分かったのですが、それくらい珍しい存在だったのだと思います。
そして2002年の有山麻衣子、日下田玲のデュオをすみだトリフォニーで聴いた後、このコンサートが翌年金沢でやることが決まっており、そのついでに富山でもやることになったのでした。金沢の喫茶店の女店主は「宇野さんから2人の歌手を売り出したいからと言われてて金沢でやることにした」と言われ、せっかく北陸まで足を運んで頂くのならばと、富山のコンサートを私が用意したいと、宇野氏に手紙を送った(大阪の友人に住所を教えて頂いて)ところ、宇野氏から直々にお電話を頂きました。これがまともに話をした最初だったのですが、こうした経緯を振り返ると、何とも無茶苦茶な恐れ多さなど全くない、昔からの知り合いみたいな感覚ですね。
前置きが長くなりましたが、今回取り上げた「いいたい芳題」の本ですが、これは2004年に出版されました。これは宇野氏が新聞や雑誌などに書かれた原稿をまとめたもので、音楽のことだけでなく相撲や野球、そして列車のことなど、氏の趣向がよく表れた一冊になっています。
実はこの本の最後に「遺言のつもりで」と書かれた項。私が富山で行ったコンサートで、後援を頂いた富山新聞(北國新聞系列)の記者が、宇野氏に終演後取材した際に依頼した原稿で、後日新聞に載ったものです。本が発売された当時は、思いもよらないところで取り上げて頂いたくらいにしか思っていなかったのですが、その遺言が実は私にとっての出会いであり、その後長らくお付き合い頂いたことを考えると、何とも出会いの不思議たるものを、感じられずにはいられません。
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