お盆前、母方の祖母が亡くなりました。明治時代から100年を生き抜いた訳で、本当に大往生と言えと思います。母は6人兄弟のうちの下から2番目で、伯父伯母の話によると、なかでも最も可愛がられたそうです。そのような私もまた、孫のなかで特に可愛がられたような気もいたします。
それで葬儀は14日にありましたが、その参列とお手伝いに行っていました。6年前の実家の祖父の時は、自宅で葬儀を行いましたが、今回はホールで行われました。ですからお手伝いと言っても特にすることもなく、あれよあれよと言う間に流されて、実に合理的にとり行われました。
まず面食らったこと。お通夜が終わったところで、お茶とお菓子を参列者に配りました。そのようなこと、初めてでした。以前は葬式が主で通夜は本当に親しい人の間でとり行われたのですが、今の忙しい時代、昼間に葬儀に参列などできる訳もなく、通夜にだけ参列する人が多くなったので、翌日の葬儀の後に配る供え物の代わりぐらいに思いました。まあ言ってみれば葬儀屋の商売の為のように感じなくもありません。
ところが翌日、もっと驚くべきことがありました。翌日の葬式の際、私ら孫は受付とお供え物を帰りに渡す役割りが与えられました。それで私の頭の中では、葬儀が終わった際に供え物をホール入り口に運び、そこで開いて袋詰めするのを想定していたのです。それで受付を終えて2人程残して中に入って焼香を済ませ、交代しに外へ出て行くと、何と参列者に渡す筈のお供え物が、既に用意されていたのにはびっくりしました。こんなの単なるお土産ではないですか。
私もお金を出して供えられたお菓子や果物は、いったい何なのだろうかと思いました。レプリカか、それとも他人の葬儀の際に配られるものなのだろうか。そもそも参列者に対するお礼としては、本来香典返しでこと足りる筈です。でも、葬儀をする際にはお花や果物など供えるので、それを参列者全員で分けて有り難く頂くのが主旨の筈です。それが、出所の分からない花や果物を配るなどというのは、いったいどうしたことなのでしょうか。要は同じ品物なら何でもいいのでしょうか。
そして会場を後にして斎場へ移り、そこでまた驚いたことがまた起きました。荼毘に付している間に火葬場近くの会場で、初七日の法要がとり行われました。お骨も帰っていないところで、初七日なんてするものなのだろうか。もっとも、初七日を当日行われてきたことは昔から変だったことですが。結局感じたのは、葬儀屋も会場を効率よく使用する必要がある為、現代流行りの「時短」というものを行っているのだと思います。
とまあ、不思議に思ったことが多々ありましたが、私が特に思ったのは、葬儀も体裁や品物が中心になって、心のやり取りからの観点がまるきり無くなってしまったのだろうか、というふうに感じてしまったのです。これまで本家の長男としていくつかの葬儀に立ち会い、特に父が単身赴任している時には、父の代わりに家を代表して幾度も手伝ってきたのですが、それらに比べると余りにも異例のことが多いものでした。
万事何もかも便利になった分心が失われていくものですが、大切な心の行事においても、同じなのであることを痛感いたした次第です。
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